「サド侯爵夫人」を贈られた
――人としての三島由紀夫の印象は?
誤解しないでほしいんですけど、人間っぽくないんですよね。私には肉感というものがない感じがしました。其処に居るんだけど、居ない感じっていうのかなあ。それに、普通は、こう喋ればこう返ってくるみたいなのがありますよね。ところが、三島さんの場合、とんでもないところから言葉がパーンと出てくる。あれは亡くなる少し前、初夏だったと思うんですけど、私が国立劇場の事務所の前で車を待っていると、中に先生がいらして、ガラス越しに目礼したらパッと出てくるなり、「これは蛇皮なんだよ」って。挨拶も何もしないうちに、「君、これなんだと思う? 蛇皮なんだよ」、「あ、はい」。そんな調子でした。
――三島からは「サド侯爵夫人」の限定豪華本を署名入りで贈られてもいます。
国立劇場の一室に呼ばれて、君は今後どういう芝居をしたいんだと聞かれました。私も馬鹿でしたね。先生の作品を挙げればいいのに、加藤道夫の「なよたけ」です、って言ったんです。そしたら、あんな芝居は思春期の少年が書くようなものだ、君はこういうのをやりなさいって渡されたのが「サド侯爵夫人」でした。うちに帰って一生懸命読んだけど良く分かりませんでした……(笑)。
――その「サド侯爵夫人」を初めて演じられたのは、昭和58年(1983)のサンシャイン劇場でした。いかがでしたか?
三島先生のお芝居は、もちろん言葉は素晴らしいし、構成も素晴らしい。演劇として面白いのですが、やってる人間は苦しいこともあるのです。閉じ込められてしまう感覚がありますから。
――三島由紀夫の中に?
そう。サンシャイン劇場ではルネ(=サド侯爵夫人)を私が、モントルイユ夫人(=ルネの母)を南美江さんが演じました。南さんは浪曼劇場(三島と演出家・松浦竹夫が創設した劇団で、三島作品を中心に上演した。昭和43~47年)にもいらした方ですから、公演中に「どうやったらうまくできるのかしら、毎日やってるのにまともに芝居ができないわね」と言ったら、南さんが「三島先生のお芝居は、役者がうまくやればやるほど役者は死ぬんです。そして、三島由紀夫の像が舞台に立ち上がってくる、それが成功よ」って言ってらっしゃって。確かにそうなんです。
――やはり、ふつうは役者の喜びと舞台の成功は、おおむね一致している?
それは確かに重なるんです。それが三島先生の芝居では全然一致しないで、操られている感じですね。
――なんだか、わかるような……。
「鰯売」(「鰯売恋曳網」)だけは歌舞伎の様式が前面に出ていて、歌舞伎音楽もあるし、演劇的な余白があるんですよね。三島先生の書いている世界から少し離れるというか。だからやっていて楽なのです。「鰯売」以外では「黒蜥蜴」ですね、楽しいのは。それは、三島先生の本質が、そのまま出ているからでしょうか。他の作品では、三島先生特有の、修飾語の多い文章や構成によって戯曲の中に役者を封じ込めてしまっているのですけれども、「黒蜥蜴」だけは三島さんの無垢な気持ちが出てるんだと思います。