日本国内で暗号班に配属され、班長として慕われるが…
一方、やなせは伍長となって内地に残り、暗号班に配属された。暗号の勉強はしなくてはならなかったが、重い大砲を運んだり、馬の世話をしたりせずに済むようになった。軍曹に昇進し、班長として新兵の教育も担当することになると、兵を殴らないこと、話が面白いことなどから、気が付くと初年兵たちの人気者になっていた。『やなせたかしの生涯』によると、初年兵の母親から「息子がお世話になりました。班長さんがいい人でよかった」という手紙をもらったこともあるほどだ。
「あんぱん」では、出征するときに母親が「逃げ回ってもいいから。卑怯だと思われていい。何をしてもいいから、生きて帰ってきなさい」と懇願していたが、この時点では戦死する可能性が高いルートからは外れていった。
自伝『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)によると、
「生まれたときから自由主義というか、束縛されるのが大嫌い。おまけに生意気、権威に対して反抗する、軟弱……という嫌な性格だから、軍隊には絶対向かない」
と思っていた青年が、軍隊に入り、
「文字通り叩き直されてしまいました。
二年目ぐらいになると馴れてきて、身体も頑丈になり、筋肉がついて立派な身体になるし、要領を覚えると軍隊も簡単でした」
となるほど、適応していった。
しかし、内心は「早く俗世間に帰りたかった」という。その後、戦争は激化し、やなせもついに戦地の中国に送られることになる。
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
