そうした中で、2009年には“ジーンズの聖地”として存在感を高めるべく、ジーンズストリートが誕生する。長く地域を支えてきた繊維産業が、またいまでも地域の要を担っている、というわけだ。
こうして、さまざまな歴史が交錯する現在の児島の町ができあがったのである。
古代から続く“特別な場所”「児島」を見下ろす“ヤバい場所”
実は、児島地域は古代より特別な存在として認識されていた。
というのも、『古事記』には伊邪那岐命と伊邪那美命は大八洲を生んだのち、続けて吉備の児島を生んだといったことが書かれている。『日本書紀』では、児島は大八洲に含まれており、いずれにしても古代の日本でも重要な位置づけの島だったのだ。
まだ岡山と児島が陸続きではなかった頃、瀬戸内海の真ん中に浮かぶ巨大な島・児島はあらゆる意味で存在感があったのだろう。
瀬戸内航路では児島を避けては通れず、源平合戦の舞台にもなったという。また、陸続きになってからは、塩田と綿花栽培、四国への玄関口として名を成した。
そういうわけで、こうした児島の町をただ通り過ぎるだけでは少々もったいないのではないか、と思うのである。デニムが好きでもそうでなくても、少し途中下車して駅の周りを歩き回ってもバチは当たるまい。
もし、もっと本格的なレジャーを楽しみたければ、山の上の遊園地、「鷲羽山ハイランド」に足を延ばしたっていい。ずいぶん昔、一度だけ行ったことがありますが、なかなかハイレベルの絶叫マシンが揃っていますよ……。
写真=鼠入昌史

◆◆◆
「文春オンライン」スタートから続く人気鉄道・紀行連載がいよいよ書籍化!
250駅以上訪ねてきた著者の「いま絶対に読みたい30駅」には何がある? 名前はよく聞くけれど、降りたことはない通勤電車の終着駅。どの駅も小1時間ほど歩いていれば、「埋もれていた日本の150年」がそれぞれの角度で見えてくる——。
定期代+数百円の小旅行が詰まった、“つい乗り過ごしたくなる”1冊。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。