いまから60年以上前に起きた「ホテル日本閣殺人事件」。犯人の小林カウは、夫ら3人を殺したとして戦後初めて死刑が執行された女性で、「日本最大の悪女」「毒婦」と呼ばれた。ただ、彼女が歩んだ人生を振り返ってみると、はたしてどれだけの悪女・毒婦だったのか……。もしその“称号”通りだとすれば、そうした人格はどのようにしてつくられたのか?

控訴審で死刑判決を受けた瞬間の小林カウ(左)と大貫光吉(下野新聞)

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の3回目/はじめから読む)

◇◇◇

ADVERTISEMENT

 下野新聞(以下、下野)は3月2日付で次のように報道。事件は新たな展開を見せる。

9年前に亡くなっていた夫も、カウが毒殺したと判明

 夫も毒殺したか、小林カウ 終戦直後、自殺(病死の誤り)で葬る

 

 塩原温泉のホテル「日本閣」生方さん夫妻殺しの主謀者、小林カウ(52)を引き続き追及している県警捜査一課強行班は、カウが終戦後間もなく死別したという夫・秀之助さん(当時埼玉県熊谷市に居住)まで毒殺した疑いが濃くなったことから、2日、大森部長刑事をカウの出身地である熊谷市に派遣。埼玉県警と熊谷署の協力で“第三の殺人”の捜査に乗り出した。

 

 秀之助さんの近親者という熊谷市の人からこのほど捜査本部に舞い込んだ投書によると、秀之助さんは32年前、カウと結婚。熊谷市で自転車商を営んでいた。カウも新婚早々から持ち前の色と強欲であくどい商売をしていた。戦後間もなく秀之助さんが急死。死因に不審な点も多くあったが、戦後のどさくさで単なる自殺として片づけられてしまった。しかし、秀之助さんの体には全身に紫斑があり、毒薬を飲まされたのに間違いないという情報だった。

「夫も毒殺したか」(下野新聞)

 公判でカウの共犯とされた元警官の弁護人だった大貫大八の『ある裁判の断層』(1967年)によれば、結婚当時の秀之助の商売は順調にいっていたようだが、貸し倒れなどが発生。店をたたんで上京し、その後、千葉県に移っていろいろな商売をしたすえ、熊谷に戻ってきた。終戦後は自転車、タイヤのブローカーをしていたという。翌3日付で下野は熊谷市に派遣された刑事の報告内容を報じた。