いまから60年以上前に起きた「ホテル日本閣殺人事件」。犯人の小林カウは、戦後初めて死刑が執行された女性で、「日本最大の悪女」「毒婦」と呼ばれた。ただ、彼女が歩んだ人生を振り返ってみると、はたしてどれだけの悪女・毒婦だったのか……。もしその“称号”通りだとすれば、そうした人格はどのようにしてつくられたのか?
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の2回目/続きを読む)
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旅館「日本閣」の夫婦が失踪、捜査を進めると……
「旅館主夫妻は殺されていた」。地元紙の下野新聞(以下、下野)は初報となる2月21日付朝刊社会面トップの記事にこう見出しを付けた。内容は先行報道したもう一つの地元紙・栃木新聞(以下、栃木)の同じ日付の「旅館主夫妻を次々殺害」が主見出しの記事を見よう。
夫婦そろって行方不明という、ナゾに包まれた塩原温泉「日本閣失踪事件」を捜査していた県警本部と大田原署は20日未明、塩原町塩釜、土工・大貫光吉(37)を窃盗容疑で付近の山林で逮捕。自供に基づき、同日午後5時半、日本閣の共同経営者(自称)小林カウ(52)=同町塩釜、物産店主=を殺人容疑で逮捕した。大貫も同容疑に逮捕状を切り替え、同夜はカウを宇都宮署に、大貫を大田原署に留置。本格的な取り調べを始めた。
カウが旅館乗っ取りを策し、大貫を使ってまず同町福渡、日本閣主人・生方鎌輔(53)の妻ウメさん(48)を、次いで鎌輔を殺害した疑い。カウは犯行を自供していないが、大貫の自供に基づき、大田原署捜査本部はきょう21日午前10時から、鎌輔の遺体を埋めたという日本閣前の山林を、次いでウメさんを埋めたとされる日本閣新館土台下を発掘する。
捜査本部が事件の経緯を把握し、あとは自供と遺体発見が鍵とみていたことがうかがえる。カウたちはいろいろ偽装工作をしたが、その程度で警察をだますことができないのは当然だった。鎌輔は殺人の被害者である半面、妻のウメを殺した事件においては被疑者でもある。栃木は呼び捨てだが、下野は「さん」付けだ。栃木の記事は続く。