77歳のいまも医師として多くの患者に接する鎌田實医師が上梓した『うまいように死ぬ』。この中から一部抜粋し、2014年に惜しまれつつこの世を去った俳優・菅原文太が生前語っていた「死ぬまでやり続けたかったこと」を紹介する。(全2回の前編/続きを読む)
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「最後まで菅原文太らしく生きたい」とは?
「うまいこと死ぬ」ためには、最後まで「うまいこと生きる」ことが大事。死ぬまでの間をどう“うまく生きるか”で、“大往生”できるかどうか、決まってきます。
俳優の菅原文太さんは、膀胱がんとわかったとき、「最後まで菅原文太らしく生きたい」と膀胱を全摘する手術を拒否しました。そして2014年、転移性肝がんで亡くなりました。享年81でした。
僕が「菅原文太らしくってどういうことですか?」と聞くと、笑いながらこう答えてくれました。
「最後まで立ちションしたいんだよ!」
大笑いです。彼が選んだのは、膀胱鏡での粘膜切除と、抗がん剤治療と放射線治療の併用療法でした。文太さんは治療を受けながら、山梨県北杜市で有機農業を続けました。東日本大震災が起きると、僕も一緒に福島の人たちを元気づけに行きました。
結果として、当初の予想を大きく上回る7年半、「菅原文太らしく」生きました。
僕自身も、つらい治療はできるだけ避けたい。
77歳のいま、最優先したいのは、おもしろく生きること。「おもしろいことをした人の勝ち」というのが僕の口癖です。医療や介護は、いたずらに命を永らえるためのものではなく、おもしろく生きることを助けてくれるための道具にすぎません。
自分自身によく言い聞かせています。「カマタ、君はより自由になっているか……」。
40代から50代半ばまでは、いい病院にするために職員たちと、よい関係をつくることを心がけました。地域医療をやりたいと思っていたので、医師会の先生方や行政の人たちと話し合いをしながら、魅力的な街づくりにこだわってきました。子どもを育て、子どもが上手に羽ばたけるようにするために、後ろから応援してきました。
56歳で病院を辞めると、少しずつしがらみが少なくなっていきました。
もちろん、いまも完全に自由ではありません。子どもの頃、違う家庭に引き取られ、育てられていくなかで、無意識のうちに相手の身になる習慣がつきました。それ自体は僕の魅力だと思っています。でもそろそろ、自由にいままで以上にこだわって、うまいように死ぬために、いい老い方をしようと思っています。

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