男女格差、経済格差、教育格差。はたまた体験格差。これらを問題視し、正義感をまとって申し立てる。“本人の努力ではどうにもできない初期値の差によって、将来的な有利・不利が決まることは、不平等である。ならば、不利な人を「支援」しよう。お金が足りなくて機会が不平等なら、援助しますよ”。これが一般的な「格差問題」への対策だが、本書は格差のなかでも「体験格差」について、一線を画す。
著者は言う。「体験格差」を問題視することは、不覚にも競争、特に課金ゲームを所与のものとし、単に能力主義社会の勝者の勝ち逃げを許すばかりか、構造的な課題をも見えなくさせるのではないか、と。この目の覚めるような指摘は、概念を机上でこねくり回すのではなく、著者積年のライフワークとも言えるルポルタージュをベースに紡がれているから、力強いが強引さはない。かつて現場の教育格差に光を当てた『ルポ 無料塾』(集英社新書)の問題意識を、さらにジャーナリズムに昇華させた、周到な一冊と言える。
と同時に、本書をいっそう比類なき一冊に仕立てるのは、著者が各専門領域を越境し続ける点である。行動遺伝学者との痛快な対談なども惜しみなく収載することで、科学的に否定し得ない個体差を踏まえた「格差論」を可能にする。
そうして先述のとおり、ありもしない「公正な競争」を超えて、暗黙の前提を次のように見直すときが来ているのではないか? と説く。
1.お金、学歴、体験……と多くを手にすることのほうが、格上だという考えは、真理だろうか?
2.「親ガチャ」で体験にまで「格差」があって大変だね、との目配りは大切だが、一方で教育が公共のものであるとの認識を薄れさせ、家族中心主義的社会を維持・強化していないか?
3.よい学校がよい仕事、豊かな暮らしへとつながることを絶対視し、親が子の競争力の獲得に猛進するのではなく、学歴や職歴に拠らず、誰もが安心して暮らす方法を考えてもいいのではないか?
いかにも! と痛いほど膝を打つ。さらに、種々様々な取材対象者との対話から今後の社会や教育、労働のあり方について、読者に考えさせる。消費者マインドを内面化するかのごとく、誰かに満たしてもらうことが教育ではない。子どもが本来もつ「いいこと思いついた!」のような場と、評価目線を持たない複数の大人との直接の関わり合い、これらの肝要さを訴える。
「呪い」をかけるかのごとく、あれがない、これがないと不安を煽る書籍が溢れるなか、本書のような「呪い」を解く一冊は見慣れないかもしれない。だが、それこそ著者が徹頭徹尾、問題視する「消費社会」の悲惨な末路である。この世の「生きづらさ」は我々の手ではどうにもできない、と匙を投げる前に、どうか全ての大人に読んでほしい。
おおたとしまさ/1973年、東京都生まれ。教育ジャーナリスト。麻布高校出身、東京外国語大学中退、上智大学英語学科卒。リクルートから独立後、教育誌の編集に携わり、現在は独自の取材をもとに幅広い媒体に寄稿。近著に『母たちの中学受験』『男子校の性教育2.0』。
てしがわらまい/1982年、横浜市生まれ。組織開発専門家。近著に『学歴社会は誰のため』『格差の“格”ってなんですか?』。
