読者と読書の「考現学」
町の本屋さんの減少で、立ち読みする機会そのものが減ってしまった。『立ち読みの歴史』は、郷愁の思いとともに、「立ち読み」欲を復活させる。あれも読みたい、これも面白そうだ、と小遣いの不足を嘆きながら、未知の世界に触れる刺戟的だったあの時間を。
著者の小林昌樹は若い日、神保町の三省堂書店で文庫本1冊を読み切ったという剛の者だ。小さな書店だったら、店主のハタキ攻撃に遭っていたに違いない。就職先は国会図書館にするも、そこは好きな本を立ち読みできる環境ではなかった。現在は『調べる技術』の大家であり、いま最もエキサイティングな雑誌「近代出版研究」の編集長でもある。
その「調べる技術」を生かして挑んだのが、「立ち読み」という営みの歴史だ。名もなき人たちの、なんということもない行為。経済活動にも貢献しない、寸暇を費やすだけの時間。それゆえ記録にも残りにくい。

著者は、江戸時代にさかのぼり、本の出版、流通、販売、読書の現場をおさえようとする。その時に役立つのが、本書でたくさん紹介される図版だ。江戸時代の本屋のようす、デリバリーの貸本屋、明治以降になっての写真類になると、どんな陳列がなされていたか、どんな人間が本にかじりついていたか。読者と読書の「考現学」が展開される。
立ち読み発生の唯一の証言者は、宮武外骨だった。「明治三十年頃までは、雑誌販売店で立読みして居ると店の者が『アナタ其雑誌をお買ひになるのですか』と詰責した」。丸善などの大型書店が本を「開架」で並べるのが明治30年代なので、発生の時期はその頃と断定できる。
「奇人」宮武外骨は、東大に明治新聞雑誌文庫をつくったことでも知られる。出版文化史の恩人でもあるだけに、こんな証言を残せたのだろう。本書で引用される証言者には、内田魯庵、田山花袋、馬場孤蝶、谷沢永一などの本好きが並ぶのは偶然とは思えない。みんな本が好きでたまらない面子だ。彼らの一見どうでもいい記憶が、『立ち読みの歴史』に貢献してくれるのも好もしい。
立ち読みと万引きの密接な関係、本の身分制、立ち読み東西比較、学生服を着ているとフリーパスだった「丸善の二階」、露店で売られていた本や雑誌など、話題は豊富で尽きない。
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