「フェミニズム」という言葉が当たり前のように使われるようになった昨今。1990年代に、フェミニストとして『笑っていいとも!』や『ビートたけしのTVタックル』に出演した田嶋陽子さんが受けた逆風は、現在とは比べものにならないほど酷いものでした。

 現在、84歳になった田嶋さんが考える“理想の人生の終わり方”はどのようなものなのでしょうか。著書『わたしリセット』から一部抜粋して紹介します。(全3回の3回目/最初から読む

田嶋陽子さん ©文藝春秋

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“死に方”も自分でデザインしたい

 自分がどんな人生を送りたいかが分かれば、それにあわせて死も人生設計のなかに組み込めるようになります。私は自分の死を自分でデザインしたいんです。これまで人生を自分で選択しながら生きてきたんだから、死に方も自分で選択させてほしい。死は自然に任せるという考え方もあるでしょうが、自分の人生はこれまでのように自分でケリをつけたい。それが私の率直な思いです。

 今は寿命なんてあってないようなもの。最先端の医療によって、寝たきりのままで何年も生かしておくことができる。もはや神が人間の寿命を決めるというより、人間が人間の寿命を決めています。だったら、どう死ぬかも自分で自由にさせてほしい。あくまでも自分で主体的に決めたいのです。日本では安楽死が認められていませんが、もっと社会が関心をもって議論すべきです。もちろん、悪用される危険性もありますから、濫用を防止する法律をつくって、つねに検証できるチェック機能もなければなりません。そうやって知恵を絞れば、実現できないことではないと思います。

田嶋陽子さん ©文藝春秋

 今の私は、毎日が死んで生きての繰り返しのように感じています。1日よく働いて、夜にお酒を飲んでベッドに入ると、「このまま目があかずに死んじゃうかもしれない。それでもいいか」と思いながら眠りにつきます。そして朝になって目が覚めると、「ああ、今日も生きてるな」と思うわけです。毎日が生まれ変わって、新しい1日がはじまる。そうやって死と再生を繰り返しながら、いつの日にか目の覚めない朝がやってくる。これが「健康」な死に方のような気がしています。

 私はまだまだやりたいことがありますから、未練を残したまま死にたくありません。だから、病気で死ぬとすれば、ちゃんと告知を受けて、残りの時間で自分が納得できるように目一杯生きたい。不慮の事故の場合はどうしようもありませんが、それでも日々を充実して生きていれば、多少は後悔を残さなくて済むと思います。

 いつかベッドで眠ったまま、本当に目があかずに死んでしまうかもしれない。だから、死は夢を忘れた熟睡のようなもの。めいっぱい生きて、くたびれたまま夜眠るようにして死んでいきたい。そうやって命を使い切って死ぬことこそ大往生と言えるでしょう。